2005年12月30日

夏休み家族小旅行②~北島の富士山(?)=タラナキ山へ

もうすぐ大晦日。
でも、ここハミルトン界隈では、クリスマスからこの晦日まで、まったく「師走」という忙しなさはなく、ごく普通の週末なのです。
天気もいいし、大掃除なんかもする必要ないし、ちょっとドライブがてら山に行ってみようことで…。
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北島の南西に富士山のような円錐状の綺麗な山があります。 タラナキ山。
また、このあたりには、この100年余りのムラづくりの歴史を展示してある小さな博物館が点々とあります。
僕にとってはそうしたムラの資料館を是非、見ておきたいという希望があったので、家族とタラナキ山ハイキングを兼ねて行ってみました。

/////////////////

【12月29日】
・お昼前 ハミルトンの自宅発。 SH3(国道3号線)で、一路タラナキ山方面へ。 目指すはストラッドフォードの「Taranaki Pioneer Village」。
・途中、まずは「Tainui Histrical Society Museum」へ。お祖母ちゃんが小学生のお孫さんと二人で番をする、とても素朴で小さな博物館。
入場料は「Donation」(お気持ちで入れてください、との小箱)。
ムラに通じる隧道ほりや鉄道開通の歴史等々。 地元の旧家の家族史なども地道にまとめている最中のようでした。
たくさんの作りかけのファイルが山積みになっていて、自由に見ることができました。
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さて、ここから再びストラッドフォードをめざして爆走。
しかし5時前に着いてみると、ここの博物館は4時閉館とのこと。 明日出直すことにして…。

・それじゃあ、目の前にあるタラナキ山に登ってみよう!! と。 まだ午後5時過ぎで明るいし。 暗くなるのは夜の10時頃だから、これから数時間、山に行ってみよう…と。
「ストラッドフォード」はシェークスピアにちなんで、街中いたるところに彼の劇作中に登場する人名や地名が街路名として付けられています。

ストラッドフォードからタラナキ山に登るルートは、これから夕刻にかけて逆光になるので、少し角度を変えてもう少し南のほうのルートから登ってみました。
道も空いているし(日本だとこの時期、帰省・観光で大渋滞ですよね)、日光と雲を見ながら、一番山が綺麗に見えそうな場所に気楽に移動できるのがいいですね。

「Dawson Falls」という所へ。標高902mまで車で一気に登ってきました。
しばし展望台から、2551mの山頂と同心円に広がる下界の眺めを堪能して、すぐ近くにある「Dawson滝」を見学。
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さて、それから、翼と自転車二台で山下りに挑戦してみました。 せっかくここまで登ってきたのだからと。 約9Kmのダウンヒルは平均速度50Km/hと、かなり刺激的でした。
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                              ↑アクリルボードに描かれたタラナキ山の絵図:クリック!!

・今晩はこの辺りの大都市・ニュープリマスのホテル(New Plymouth Quality Hotel:たぶん★★★★クラス)に泊まりました。
こちらでは食材を持ち込んで簡単な料理をしながら旅をするのが普通なので、こうしたいわゆる「ホテル」はあまり人気がありません。
あたりのモーテルは軒並み満室なのに(しかもサマーホリデー料金で一泊150$ほど)、こうしたホテルはガラガラ。 しかもこの時期なのに一泊110$と格安で、ツインの二部屋続き(コネクティングルーム)で、室内にはこちらでは珍しい浴槽付き。
綺麗なプールとスパも自由に楽しめて、こども達には好評でした。
「こんなに泳げるよ」と、調子にのって命綱の浮き輪(両腕に付けるタイプ)をとってはしゃいでいた洋クンは、この後、見事に溺れました。
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【12月30日】
・午前中  昨日まにあわなかったストラッドフォードの博物館へ。
ニュープリマスからストラッドフォードは20Km少しで約15分ほどのドライブ。
「Taranaki Pioneer Village」は15エーカーの敷地に40ほどの歴史的な建物がいろいろ保存されていて、中に自由に出入りでき、そこには様々な資料が展示されています。
古民家、農家の納屋から、学校、教会、裁判所、牢屋まで…。もちろん街中の小商店、例えば床屋、酒屋、ガソリンスタンド、印刷屋なんかも。
かなり見応えのある内容でしたし、広い敷地内をょっとしたハイキングのような数時間でした。
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・さて、今回のタラナキ訪問の目的はほぼ達したので、どうしようかということで…。
タラナキ山が誘っていそうだったので、再び少し登ってみることに。
今日はストラッドフォードに一番近い登り口から、タラナキ山の東方面から登りました。
昨日よりもう少し高い1130mまで登ると、ストラッドフォードの街が眼下に、そして方向を変えるとニュープリマスの海も見えます。
タラナキ山は綺麗な円錐形をしているので、ここからは下界が円く広がって見えました。

・タラナキからハミルトンへの帰路、来た道をこのまま帰るのは面白くないからと、地図を頼りに同方向に向かう「山道」=通称「Forgotton World Highway」(SH43)に入りました。
とても険しい山岳路で、一部未舗装。
そしてこの道沿いにある「北島一落差のある滝」=「ダンパー山の滝」(Mt.Damper Falls)に寄ってみました。
「北島一」という滝、それも夏休みの週末だというのに、僕達以外訪れる者はいない模様。
柵を乗り越え敷地に入いると、そこは人の牧場のようで、放牧されている羊や山羊や牛の脇を通って20分ほど山を上り下りして滝に到着。
「華厳の滝」や「那智の滝」に比べちゃうと小さな滝ですが、それでも落差74mの清らかな滝はあたりの静けさ、美しい初夏の緑の中に美しく映えていました。
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・約一時間ほどの滝への散策後、ここからこの山岳路・SH43をしばらく下り、SH4→SH3と経由して夜、ハミルトンに帰着。

●ニュージーランド中いたるところに、こうした街の小さな博物館がほどよく整備されて公開されています。
また、『Memories』という地域史雑誌があって、こうした博物館の紹介や展示の抜粋紹介などがきめ細かくされています。 こうした雑誌を片手にNZ中を回ってみるのも面白いだろうなぁと。

  

投稿者 joyane : 16:24 | コメント (81)

2005年12月25日

なんだ、この静けさは!?~ハミルトンのクリスマス

これまで40数年生きてきて、日本以外でクリスマスを迎えるのは初めて。
ホワイトクリスマスがロマンチックだの、「大切なイブ」だの…。 若い頃はこの時期、たいそうハメを外したモノですが…。

底抜けに陽気なKiwi(ニュージーランド人)のクリスマスって、どうなっちゃうんだろう…!?
ところが………。
ハミルトンの街はゴーストタウンのよう。 どうしたんだ!?

ただ今、執筆中。

投稿者 joyane : 18:43 | コメント (1651)

2005年12月24日

夏休み家族小旅行~カウリをめぐって

12月21日(水)をもって、地元の小学校は終業でした。 来年の2月初旬まで、長い夏休みが始まりました。
今日12/21(水)は終業の日。 でもこれがまた、とてもアッサリとした終わりかたでビックリでしたので、その事についてはまた後日。

24日のクリスマス・イブ、25日のクリスマスが今年は週末になるので、このあたりから新年にかけて、観光地等はとても混むのではないかと…。
そこで、今日から数日、家族で小旅行をしてみることにしました。

今回、目指すは北島の最北端=ケープ・レインガ(Cape Reinga)。
お昼過ぎ、小学校から帰える翼を待ってスタートとなりました。 庭の木から落ちたオレンジの実を拾い集めて、ジュースを作り、ドライブの準備は万端です。

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今回の行程は、国道1号線(SH1)をメインに、「Twin Coast Discovery」という北島北部=「ノースランド」を周遊するルートです。

【12/21(水)】
・午後、ハミルトン→オークランド
 恥ずかしながら、NZに来て5ヶ月あまり。はじめてオークランドの北に足を踏み入れるのですが、今日初めてかの有名な「ハーバーブリッジ」を渡り、その橋の美しさ、それに眼下に広がるオークランド繁華街の街並みの美しさに感動しました。
・夕方、ワンガレイ(Whangarei)泊。いつも利用しているTop10グループの、今日は「Whangarei Top10 Holiday Park」に。
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【12/22(木)】
・朝、ワンガレイから近くの「Northland Forest Park」に車で入り、カウリの大木を見てきました。
A.H.Reedがこうしたカウリの森の保護を唱道してこうした保護区ができています。
それにしてもカウリの木は大きい!!
・昼、次の目的地パイヒア(Paihia)に到着。Bay of Islandの中心。 今日はここで明日のアクティビティを予約して、ここに一泊します。
・夕方、ワイタンギ条約批准の地へ。 「Waitangi Treaty Grounds」として見学できるようになっています。
条約記念館、マオリの戦闘カヌー、マラエ(マオリの集会所)、ワイタンギ自然保護区などを見て回りました。
・今晩は、ここパイヒアから目と鼻の先の小さな港町・ラッセル(Russell)に片道数分のフェリーに乗って渡って、「Russel Top10 Holiday Park」に一泊。紫陽花が咲き乱れる緑豊かなキャンプ場でした。
が、驚いたことに、ラッセルの街は今日は夕方からずっと停電。 パワーサイト(電源をとれるキャンパーサイト)に来たモーターホーム(キャンピングカーが電源をとることだけのためにこの地に宿泊します)のお客さんも不平不満をこぼすようなそぶりは全くなく、「I Love It」と言えるところは、さすがキャンピングに長けた大人の雰囲気。
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【12/23(金)】
・朝、昨日予約した「Swim with the Dolphin Discovery」へ。船で沖に出て、イルカと一緒に泳ぐというツアーでしたが、あいにくの強風(波高)が原因か、イルカがとても早く動き回り、とても一緒に泳ぐ状況ではないとのことで、残念ながら船からの見学のみとなりました。
・昼、ラッセルで街の博物館を見学。ワイタンギ条約が締結された後、この街がNZの最初の首都となったそうですが、同時に捕鯨船の基地としても栄え、銃の売買がされるようになってからは猥雑な街として栄華を誇ったとか…。
・午後、一路北に向けて。北島最北端の岬に向かう前に、「Sand Dune」という砂漠に足を踏み入れてみました。 本当に砂漠で、目が開けられないほどの砂嵐。 そこでも底抜けに陽気なKiwiは斜面をボードで滑り下って大はしゃぎです。 翼も挑戦。 僕は少し砂丘を歩き、貝殻を集めて回りました。
・夕方。Sand Duneから20Km弱北上して、目的地Cape Reingaへ。 この辺りの20Km弱は未舗装路。
(南)太平洋とタスマン海の波がが激しくぶつかり合う壮大な眺めを堪能。
・夜は、岬の付け根にあたる、カイタイア(Kaitaia)のモーテル「カウリ・ロッジ・モーテル」泊。 それにしても今回の旅は「カウリ」に縁が深いなぁ。
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【12/24(土)】
・今日は南に下りながら北島ノースランドの自然に触れつつ、ハミルトンに戻ります。
・午前、岬の「90 Mile Beach」へ。 ここはタスマン海に面した長い砂浜なのですが、固く締まった砂浜はバスでも劇走できるとかで、その手のアクティビティが売り。
でも、砂浜へのアクセス箇所の砂が深くてヤバそうだったので、2WDのエスティマの我が家は大人しく道端に車を停めて、しばし浜辺を散策。
砂漠の山から吹き下ろす強風で、低く地を這うように吹き飛ばされてくる黄色い砂が、海辺を駆け足で蛇行する様はとても「幽玄」でした。不思議な光景。
・午後、、「Twin Coast Discovery」のSH12を南下して、ホキアンガ(Hokianga)でフェリーに乗って対岸のRaweneへ。 このHokianga港はとても奥の深い港で、奥の方はHokianga川となっていて、このフェリーの就航しているあたりは淡水・海水が入り交じり、時刻・風向で流れがめまぐるしく変わるところでした。
・そのままSH12を南下してWaipoua Forestを通ります。 このあたりから南の方にはまだ、巨大なカウリの木がまとまって残されています。
「Tane Mahuta Giant Kauri」を見学。 よく写真や絵になっている有名なカウリの大木でした。
・夕方、SH12をもうしばらく南下してKaipara港の近くのMatakohe(マタコヘ)にある「カウリ博物館」へ。とても見応えのあるいい博物館でした。
・6時過ぎにKaipara港を過ぎ、明るいうちにSH1でオークランドへ。 久しぶりに豚骨ラーメンを「大黒」で。 日の暮れる午後10時頃、ハミルトンに帰着。

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三泊四日、NZ北島・北方の旅でした。
①オークランドのリゾート・パイヒアの華やかな街並み。
②NZの歴史を語るワイタンギ(条約の街)、ラッセル(捕鯨の街)。
③強風の砂漠といった荒々しい自然の最北端。
④カウリの大木と林業、そして今は環境保護のノースランド西海岸。

NZの色んな顔に出会えたドライブでした。

投稿者 joyane : 18:12 | コメント (50)

2005年12月21日

NZの小学校のアレコレ

翼の通うHillcrest Normal Primary Schoolも今日が終業式。
今日から来年の2月初旬までが長~い夏休みです。

NZに来て半年弱。 こちらの小学校、教育スタンスの注目すべきところをランダムに書き留めておきたいと思います。

以下の●印の項目を、ただ今、執筆中。

●5歳の誕生日が入学式
●二学年混合クラス
●思いやりのあるクラスメートばかり~なぜ、そんな大人びたことがみんなできるの?
●留年か進級か?~担任の先生と親御さんが相談?
●時間割のない「まるで全部が個人指導」の30人弱の学級
●こういう評価なのかぁ!!~通信簿(こちらでは「レポート」と呼称)の記述・評価内容
●全ての授業時間が「総合的学習」~楽しむことの中に科目学習の要素が:自転車、カヤック、ディスコにオークション…
●あっさりとした終わり方~卒業式と終業式
●終業・卒業の日まで、きっちり授業はやります。遊びます。
●先生への贈り物
●親御さんの授業(学校)への関わり方
●共生の感得・体得
●しかし…、まだまだ分からないことが多い、不思議なNZ教育の「セ・カ・イ」

投稿者 joyane : 18:34 | コメント (31)

2005年12月16日

Gino君とA200

こちらは、ハミルトンの目抜き通り・Victoria ST.にあるカメラやさん、SNAPSHOTの若い店員さん、Gino君。

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今回、日頃愛用しているカメラが故障し、その修理に関してとてもお世話になりました。

約一ヶ月半ほど前。
突然、カメラに不調が。 「KONICAMINOLTA・DiMAGE A200」というのが僕の愛用のカメラ。
起動のスイッチを入れると、ガガガガガ…、と振動が起こり、液晶画面が激しく揺れます。
そして撮影すると、写真の四隅が黒く欠けてしまいます。

早速、ハミルトン市街地にあるKONICAMINOLTAショップへ。
ところが、そこには「移転」の貼り紙が。
そこで住所を控えて行ってみると…。 そこももぬけの殻。 隣のオフィスの人に聞いてみると、別の所に移転したとのこと。
やっと辿り着いて係員に「カメラの修理をお願いしたいのですけど…」と言うと、「ウチはカメラは扱っていません、ごめんなさいね」と。
「え…?」
「うちはコピー専門店なんですよ。カメラなら大通りのSNAPSHOTに行ってね」ですって。

ハミルトン中心市街地を二時間ほど徘徊してやっと修理をやってくれるというSNAPSHOTに辿り着きましたが、どうもその店構えは「一時間現像屋」という感じ。店の看板もそれしか出ていない。しかも「コダックフィルム」の専門店を示す例の黄色い看板。
「また、たらい回しにされるのか…」と一抹の不安。

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ところが店に入ってみると、確かにセルフのデジカメの現像機なんかもあるけど、クラッシックなカメラ(上から覗いて、大きな銀塩盤を出し入れするヤツ)なんかがスタンバイしていて、なんやら「写真館」のよう。

店員さんも思慮深そうな物静かな人達ばかり。
僕に接してくれたのは、その中で最も若いGino君。

注意深く僕の拙い英語を聞いてくれて、カメラを手にして、「手ぶれ補正機能のパーツの故障です」と一言。「どこかにぶつけちゃったんだね、このあたりの傷が怪しいな」って、カメラの底の小さな傷を示します。僕も、そこに傷があることは全く気付いていませんでした。

実は前日、この修理をどうしたものか悩んだあげく、KONIKAMINOLTAのホームページから、このあたりを管轄しているらしいお隣の国・オーストラリアの支店にメールを出して(もちろん日本語で)、アドバイスを乞うていたのですが…。
その回答は、日本人の女性担当者Mさんからすぐに届き、故障の様子から判断できる原因と修理の保証関連の情報、それから修理の段取りがとても丁寧に日本語で説明されていました。担当のMさんの迅速・丁寧な返事にとても感謝しています。
オーストラリアまでこちらで送料を負担すれば、修理後、会社負担で返送までしてくれるとのこと。しかし、カメラという壊れ物を郵送するということに若干不安を感じたので、ハミルトン市内で修理を請け負ってくれる店を探していた、というわけでした。

また、もう一つ問題が。
それは今、手元に、「国際保証書」がないこと。 どうやら7月中旬に北京から日本に一日だけ戻った際に、乱雑に放り出した書類の山の中にその類のモノが一式はいっていたようで、こちらハミルトンにはカメラやPCの保証書の類は一切ありません。
ところがオーストラリアのMさんの判断で、「この機種自体が発売から一年未満だから、今回は保証書無しでも無償修理ができる扱いにします」と。社内で僕のカメラの修理の扱いを議論して、そうした結論を出してくれていました。
なんともありがたいこと。 きめこまかな配慮がうれしい。 こちらがしかるべきルートできちんと質問・お願いをしたら、それにきちんと対応してくれる。 当たり前だけど、海外で生活していると言葉の壁や商慣行なんかの違いもあって、こういうところで大きな不安やストレスを感じてしまうというもの。 今回はオーストラリア支店のMさんの対応に救われた気がします。

さて、Mさんからの保証書関係のコメントをプリントアウトしてSNAPSHOTのGino君に見せたところ(Mさんは、今回の「社としての」対応について英語で店員さん用に手紙まで付けてくれていました)、彼はすぐにNZ国内の修理所に転送する手配をしてくれました。
あとは7~10日後の修理完了を待つばかり……、のはずでしたが。

1週間、2週間…、待てどもGino君からの連絡はありません。
たまりかねて店をたずねてみると、部品がNZ国内欠品で今、オーストラリアへ注文を出して待っているところ、という修理状況をパーマストンノースにある修理所に電話してGino君が調べてくれました。
それなら、最初から僕がオーストラリアのMさん宛に郵送していれば、今頃、修理完了して返ってきてたのに…、と若干の後悔。

そして、なんだかんだで、遂に一ヶ月が経過。
やっと部品がNZに届いたとの連絡がGino君からあって、あと一週間くらいでハミルトンに戻ってくるだろうと。

「現在、故障箇所の特定中」、「部品の注文中」、「部品到着」、「修理作業中」…。
その都度、正確な進捗状況(らしい)情報をいただけたのですが、何やら「蕎麦屋の出前」のようでもあり…。

それでも修理依頼の11月8日から一ヶ月と一週間、12月16日にやっと手元に戻ってきました。
メデタシ、メデタシ。

この一ヶ月半前、オートバイGSX400Xを買ってカメラを鞄に詰め込んで一路ギズボンへ500Kmのロングドライブ。 ああいった振動が良くなかったのかなぁ…、と思いつつ。

しかしこの一ヶ月あまり、今回のカメラ故障、オートバイの故障(買ったばかりだったけど電気系統の故障)、我が家の足となっている車(トヨタ・エスティマ)の電気系の故障と夏場を迎えてのオーバーヒート気味の症状…等々と、何やら少し色々ガタがきているのかなぁ、と感じていました。
NZ生活も半分を過ぎて、そろそろ色々、メンテナンスが必要な時期なのですね。
そういえば、学校も来週なか頃でおしまい。 年度末の〆をして、クリスマス、ニューイヤーから一月一杯の長い夏休みに入ります。
ここらで心身共にリフレッシュして、このサバティカルの後半戦にのぞみたいと思います。


投稿者 joyane : 05:46 | コメント (864)

2005年12月15日

被災地踏査~マタタMatata洪水被災地へ

エッジカムの帰路、海岸沿いを走るSH2に面する風光明媚な街・マタタMatata洪水の被災地を歩いてみました。

20051215 (59)-resize.jpg    ← クリックしてみてください。

この綺麗なクラッシック&ビンテージカーは、途中、雨宿りしたテプケの「クラッシックカー博物館」の展示車両・かの名車「モーリス8」。そしてもう一台は、マタタ洪水でゴミとなってしまった車種不明。 
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今年の5月中旬、ここBay of Plentyで大雨があり、このあたりの崖地ではあちこちで崖崩れがあり、ここMatataでは土石流、地滑りが発生して大きな被害が出ました。
それでも幸いなことに犠牲者は出ませんでした。

今日は、1987Edgecumbe地震の現場を踏査した帰路、Matata洪水の現場を歩いてみました。

SH2の上を鉄道橋が跨ぐところで、大規模な復旧工事が行われています。 背後の山が崩れて(地滑り災害=Landslide Disaster)橋・線路ごと押し流されてしまいました。

山からSH2に移した目をそのまま海岸沿いに送っていくと、そこは押し流された家屋や瓦礫の山々。

ちょうどそこに、お散歩途上のおじいさんの姿が見えたので、ご挨拶してみると…。
この近所に住むNolan Rossさん。


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「うちは大丈夫だったんだけど、隣の家がね、流されて…。そのまんま、ほら、あそこにある家」、「でも、お隣さん達、みんな大丈夫だった」、「死者は出なくてよかったよ」と。
おじいさんに案内されて被災地に足を踏み入れてみました。 なるほど、土台からそのまま押し流されてここに漂着した家が何軒か、それぞれアッチコッチを向いて、でもよく見るとかなりひしゃげて、いわゆる「全壊」です。
タンスなどがまだそのまま放置してある家、壁に「不安定立ち入り危険」のマークが記されている家…。
真新しい家もあるのですが、電気や水道が復旧していないので、今は誰もこの一角には住んでいないとのこと。

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被災から約半年。 先週あたりやっと政府から今後の見通しが発表されました。
これが出るまで、被災者はもとの家に戻ることすらできず、仮の家での生活を余儀なくされていました。
被害額がなかなか確定せず(復旧工事が拡大していったことで)、当局の財政負担・保険金支払額等の見通しが立たなかったことで、地元政府とともに編み出す復旧・復興プランが棚上げになっていたようです。

ようやく出てきた当局の今後の見通しによると…。
土石流を発生させた川の上流にダム(おそらく砂防ダムか?)を造り、鉄道・SH2などの路線変更を含む大規模な公共事業を含む街の復興計画。
住民(被災者)にはそれに同意してもらわなくてはなりませんが、その費用負担が被災者にも及ぶとのことで賛否両論のようで…。
もう少し詳しく調べてみます。

投稿者 joyane : 15:51 | コメント (767)

被災地踏査~エッジカムEdgecumbe

あまり天気はぱっとしないけど、片道200KmをGSX400Xを飛ばして行ってみることにしました。
「1987年Edgecumbe地震」と「Matata洪水」の地へ。
まずは、1987Edgecumbe地震の被災地。

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Edgecumbe、これ何と読むんでしょう?
インターネットで調べてみると、日本人も何らかのつてでこの小さな街を訪ねているようで、その日誌の類に出てくるこの地名の日本語読みを眺めてみると…。
・エジキム
・エジクンベ
・エッジカンブ
・エッジカム
と様々。 で、どれが正しいか分からなかったので、地元に着いてから街の売店のオバチャンにたずねたところ、「エッジカム」が一番近いようでした。

さて、今日は朝の家事・雑事を済ませて、10:30に愛車・GSX400Xでスタートです。
あまり天気予報は芳しくないのですが、黄色いオートバイ用のレインウェアを持って、片道200Kmのツーリングです。
ハミルトンからまずはSH1で南東に下り、ティマルの街でSH29に入ってBay of Plenty(北島・北東の海岸線)へ向けて東進します。
途中、「カイマイ・ママクの林」と呼ばれる山を越えます。 このあたりで、天気予報通りシャワーに見まわれましたが、山を越してBay of Plentyの海岸線はとても良い天気。

  ← クリックしてみてください。少し大きくなります。『The Great New Zealand』(レンタカー会社マウイの無償配布地図より)


Bay of Plentyの海岸沿いを一時間ほど100Km/hで巡航して、ファカタニ(Whakatane)の手前の街・エッジカムに着きました。

この街は1987年にM6.3の直下型地震に見舞われました。その地震の規模(M)は小さいものの震源が浅かった(約8km)ことで、局地的に大きな被害に見舞われたとのこと。
でも、それから20年近く経っていますし、今頃街を見に行っても何か見いだせるのか…。
はなはだ心許ないところでしたが、ツーリングがてら行ってみることにしました(前震があったことで皆用心し、犠牲者は出なかったということです)。

とても小さな街で、数件の雑貨屋に一軒の飲み屋(tavern)、それとガソリンスタンドが一つ。 こ綺麗に庭を手入れしてある民家に、小学校とカレッジが一つずつ。

そして震災の名残といえば…。
事前に文献で目にしていたものには、
・「牛乳工場」のステンレス貯蔵タンクの倒壊
・80tの鉄道機関車の横転とグニャグニャに曲がった線路
・郊外の牧場・畑に延びる地割れ
でしたが、今回見ることができたのは、牛乳工場の入り口に展示されていた「曲がった鉄骨」と「震災概要掲示板」。

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震災概要とこの鋼鉄掲示板の由来が綴られています(英語ですが)。 クリックしてみてください。

この震災がなぜNZで有名かというと…。
「それなりの(「あまり大きいMではない」との意)規模」なのに「NZで最も高価な地震」と呼ばれているから。
つまり、地震委員会(Earthquake Commission)が支払った保険金額が史上一位だということ。住宅と小商店への支払いが1億3,600万$だったそうです。

ところで、今日はここエッジカムの帰路、同じBay of Plenty沿いの街・マタタ(Matata)に立ち寄りますが、ここの洪水被害は政府からの支払い等の決定がなかなか出ずに、被災から半年経った今も被災者は自宅に戻れない事態が続いているとのこと。
どのようなことになっているのでしょうか…?

投稿者 joyane : 13:17 | コメント (963)

2005年12月14日

小学校のAthletics Events

翼の小学校で今日はAthletics Eventsが開催されました。

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Athletics Eventsって?

4種目の陸上競技が行われました。
でも、日本の「運動会」のように全校一斉というわけではありません。
翼達5-6年生のクラスが二クラス、総勢60人ほどの小さな陸上競技会。
それを見に来ている親御さんも20人くらいでしょうか。 数日前、「お昼ご飯を持ってどうぞ観覧してください」とあったので、見に行ってみました。

競技は、「走り幅跳び」「高跳び」「100m走」「ボール投げ」の4種。
一つのクラスが5年生、6年生、女の子、男の子と四つのグループに分かれて、それぞれ30分ぐらいずつ、一つの種目に挑戦します。
翼は「Y5BOYs」のクラスで9:30のLong Junpで競技開始。
それぞれ1~2回の練習チャンスがあって、それから本番。それぞれ上位数名が残り、二回戦へ。

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速い子、飛べる子もいればその種目が苦手な子もいますが、毎試技毎、必ずみなで応援しあい健闘を讃え合います。 何もそうした姿勢は教えられているのではなく、自ずと身に付いたもののようです。
翼も高跳びでは二度目の試技でクリアできたのですが、試技の直前の励ましの声、クリアできた時の拍手と歓声…。ハイタッチして回ります。
その子の能力・個性をみなが讃え合う姿は、とても大人びて見えました。 決してヤジを飛ばしたり、しらけた態度をとっている子はいません。
みな、のびのびと運動を楽しんでいました。

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  ↑
翼の勇姿:半背面跳び!?

昼食は親御さんの来ているこどもは一緒に、そうでない子はいつもの通り、校庭の日陰で皆で車座になってランチボックスを広げていました。

投稿者 joyane : 07:33 | コメント (734)

2005年12月13日

グリーティングカード~Merry Christmas !!

Merry Christmas !!

  ↑
サンタさんをクリックしてみてください(少し大きくなります)

●この下に、グリーティングカードがあります。

Merry Christmas & Happy New Year !!

Download file
 ↑ グリーティングカードです。 少し重いPDF(695 KB )ですが、開いてみてください。

投稿者 joyane : 04:00 | コメント (1508)

2005年12月12日

小学校からの招待状

翼(地元小学校の5-6年生)の学校から招待状が届きました。
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開けてみると…。

日頃、授業運営のお手伝いをしている親御さんに、学校から感謝のしるしとして、モーニングティーへのお誘いでした。

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我が家では、
8月中旬のアスレチックジム教室  http://disasterjune.com/NZ/archives/200508/15-1739.php 
10月末の自転車講習         http://disasterjune.com/NZ/archives/200510/31-1829.php    
のお手伝いをしました。

指定の時間に小学校の講堂に行ってみると、中央に大きな机が二つほど。 その上には、クッキーやケーキ、サンドイッチなどが盛りつけられていて、講堂入り口付近で紅茶とコーヒーのサービスが始まっています。
こうしたお手伝いをする親御さんは、よく学校に顔を出している人が多いようで、みな顔なじみ。
回りにほとんど知った顔がない僕ははじめのうちはポツンと孤立していましたが、同じようなお父さんとご挨拶して雑談。
そのうち、校長先生がご挨拶のスピーチ。
「日頃の授業の運営に、みなさんご協力いただき感謝します…云々」。
先生方も休み時間になって続々やってきて、みなでしばし歓談。 30分ほどで三々五々、解散。

今日は講堂には100名くらい集まっていたでしょうか。 毎月、なにがしかの授業お手伝いをお願いするお便りが届きます。
雑談したお父さんによると、
「こうした学校運営のお手伝いやコミュニティ活動などは大切なことだから、仕事もとても大切だけど、休みをとったりしてできるだけやるようにしてるんだ」とのこと。
回りを見回すと、結構、お父さんの姿が目立ちます。
今日は特別休みを取らずに、仕事の合間に、仕事場のモーニングティの時間にこちらに駆けつけました…、という感じで、作業服や制服姿のお父さん達。

きちんとこうした会を設けて、校長や担任が親御さんをお迎えして感謝の気持ちをあらしているということ…。 当たり前だけど大切なことですよね。

投稿者 joyane : 07:52 | コメント (1557)

2005年12月11日

火山文化センター(ファカパパ・ビレッジ)

タウポ湖の南側はトンガリロ国立公園(ナショナルパーク)で、2000m級の火山が連なり、山麓にはスキー場も点在します。
NZ150年の近現代史の中でも数回、こうした火山が噴火していて、その記録や防災上の教訓などを盛り込んで、こうした博物館・展示コーナーが設けられています。
タウポ湖周辺の火山地帯を周遊するVolcanic Loopを通り、SH4で北上してナショナルパーク入り口で右折して山に向かうとWhakapapa Village(ファカパパ村)があります。スキーや登山のベースとなっている街です。このWhakapapa Villageの「i」に併設されている「Volcanic and Cultural Center」(火山文化センター)に行ってみました。
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見応えのあるマオリアートで出迎えられ、中にはいると大きな地形模型。このあたりの地形がよく分かります。
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こども達は、「このあたりの生き物たち」というコーナーに展示されているポッサム(セーターの素材にも使われる「害獣」(扱いされています))やキウイ(NZの幻の野鳥)の剥製に引き寄せられていきます。
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展示されているパネルや自由に閲覧できるファイルなども分かりやすくよくできていると思います。ファイルなどは、「手動GIS」とも言うのでしょうか、いろいろな情報を透明シートに描き込んで、それをベースとなる火山地図に重ね合わせるという提示の仕方がされています。
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また一角には何やらPCが一台おかれていて自由に触れるようになっていたのですが、これは「地質・原子力科学協会」のHPが紹介でした。コンピュター端末をいじると出てくる説明は分かりやすく作り込まれていて、中には「火山災害時の人的要因」なんて僕には馴染みの内容もありました。
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投稿者 joyane : 17:45 | コメント (771)

2005年12月10日

軍事博物館(ワイオウル)

SH1(国道1号線)がNZ北島のヘソにあたるタウポをこえると、この湖の東側を南下していきますが、このあたりは荒涼とした砂漠地帯で、SH1も「Desert Road=砂漠路」と呼称されます。
砂漠路サイドはNZ軍の演習地になっていて、この荒涼とした風景は、映画「ロード・オブ・ザ・リングス」のロケでも使われたそうです。

この砂漠路を抜けた最初の街・「ワイオウル」に軍事博物館があります。
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SH1沿いに大砲やら戦車やらが並び、背後にガッチリとした精悍な感じのする博物館建物が控えます。

入り口を入るとカフェ、トイレ、お土産コーナー。ここは入場料がかからないスペースなので、ドライブがてらトイレだけに立ち寄ったり、ちょっとコーヒーブレイク!!と使うこともできます。

しかし、有料の博物館スペースへのエントランスからは、内部に続くとても綺麗な回廊と、特別展のいかにも興味をひくポスター等が視界にはいるようになっていて、思わず足を向けてみたくなります。

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内部は、どうなんでしょうか?

NZ軍が、その旧宗主国・英国に続いて、世界各地で戦闘に参加した模様が、兵器や各種写真等で再現されています。
戦死した者を讃える「Roll of Honor」(名誉の戦死)に関する展示は、戦場での勇ましい戦いの姿(実物大の戦場模型)や授与された勲章の数々。
収容所の模様なども再現されています。
また、各時代・各国で使用された銃も網羅的に展示されています。こうした実物を目の当たりにすると、そのコレクション的な展示に感心するとともに、背筋が冷たくなって何やら嫌な冷や汗をかいている自分に気付きハッとします。
野戦病院で片足の切断手術をしている場面が等身大の模型で展示されていたり、兵舎の壁に張り出されていたグラビア写真がそのまま展示されていたりと、戦場の生々しさも伝わってきます。
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そして、今回は「ヒロシマ・ナガサキ特別展」が一角に用意されていました。 そのコーナーの入り口には、まず、「かなり生々しい内容なのでお気をつけください」の「警告」。
そして日本人にはおなじみの、あの被爆現地の惨い写真の数々。我々はそれらの写真を生涯これまで何度か注視し、その解説をほぼ内面化してきていると思いますが、であるから今回、僕の視線は必然的に、このコーナーで立ちすくんでしまっているNZ人に向けられていました。 中にはしばし写真の前で呆然と立ちすくんでしまった初老の紳士や、ご主人の肩に顔を埋めているご婦人や。
NZは「環境」を死守する立場から原子力の利用は発電を含めた平和利用をも断固拒否するスタンスを堅持していて(したがって、そうした延長としてアメリカという国に対して明確に一線を画しています)、そうした意味で「ヒロシマ・ナガサキ」を「頭で」理解している人は多いのですが、こうして実際に生の現場写真を初めて見て、あらためて衝撃を受けるようです。
そして今この瞬間にも、あの被爆が原因で苦しみ亡くなっている人がいる…、という事実を知る段に及んで、彼らは改めて核兵器、そして戦争の人非人的側面を実感するのです。
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博物館の上階は専門図書館となっています。かなり充実しています。
そして館外に出ると、再び大砲と戦車が視界に飛び込んできます。
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投稿者 joyane : 17:44 | コメント (3114)

火山博物館(タウポ)

NZ北島を移動する場合、動脈・SH1(国道一号線)を利用すると、島のヘソに当たるタウポを通ります。タウポ湖自体がそうですが、周囲にそびえる美しい山々とその風景は、火山活動によってできあがったこの世の芸術です。
そんな火山活動の歴史や防災について分かりやすく展示しているのが、この火山博物館です。
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お隣にはもう一つ興味深い建物があります。
「WAIRAKEI Research Center」という「地熱・原子力科学協会」の研究センターですが、こちらは観光用ではありません。

さて、火山博物館にはいるとまず目にはいるのが、「地形模型」。タウポ湖周辺の火山帯の模型です。
その周囲には、数々の説明パネル。
こども達も大変興味を示すのが、一坪ほどの地震体験部屋。
奥にはもう一部屋あって、そこは映像ルームで、10~20分の短編映画を次々に上映しています。
お土産コーナーには、専門書も陳列されています。
子供からこの学問分野の大人まで楽しめる展示となっています。
こどもには入館の記念に、額にマオリの刺青の文様のスタンプを押してくれるのも楽しいですね。

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投稿者 joyane : 17:43 | コメント (63)

2005年12月09日

週末小旅行~The Volucanic Loopをたどって

この週末、ハミルトンからは南に100Kmほど下った北島最大の保養地・タウポを少しだけかすめて、「The Volcanic Loop」(火山周遊路)をめぐってみました。

     ↑
クリックすると大きくなります。 「THe Free Taupo VIsitor Map 2005/2006」(「i」で無償配布)より。

午後3時、翼(地元小学校の5-6年生)をピックアップして出発。
今日の目的地はタウポです。
タウポはここハミルトンからはSH1号線で一本で行けますが、今日はこの道は通らずに、もう一つの観光地・ルトルアの温泉街を通るSH5号線を通り(SH1の東側を通るルート)ワイカト川と平行して走ってみました。
実はこちらのルートの方が、道が良くて走りやすいのです。


今週末の小旅行の旅程を。 
「火山博物館」、「軍事博物館」、「火山文化センター」等の博物館見学については、別にあらためて詳しく紹介しますね。

【12/9(金)】
・午後3時、ハミルトン発。
・SH5でルトルア経由、午後6時、タウポ着。 タウポの温泉宿「Lakefront Motor Lodge」泊。
 各部屋(コテージ)にプライベートバスがあって、日本のお風呂のように(裸でも)楽しめます。

【12/10(土)】
タウポ近郊にて、
・Craters of the Moom Sceneic Reserve(月のクレーターのようにも見える地熱活動・温泉煙見学)
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・Volcanic Activity Center(火山博物館)
 先週Taiwangi Railway Disasterの現場を踏査して、NZ北島の火山活動の経緯・現状をビジュアルに眺めたくてたずねました。
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その後タウポ湖東岸をSH1で南下し、「Desert Road」(通称「砂漠道」=軍事演習場)を通って、ワイオウルへ。
・QEⅡ Army Memorial Museum(軍事博物館)
 果敢に闘うNZ兵士の人形や数々の勲章、それに戦車や銃(もちろんモノホンの実物)の展示などなど…。
 こんな展示を日本でやろうものなら、アジア諸国からはどんな批判が来ることやら。
 でも、こちらNZでは、どんな小さな街にも、各戦争で亡くなった方々の名前がRoll of Honorとして記念碑に刻まれ、いつも花が手向けられています。
 英国の下での植民地支配・経営、さらにはアメリカ南北戦争での南部支持の歴史(英国が北部を敵視していたので)、その他、アジア、アフリカ各地の戦闘地域への派兵…等々。
 NZも様々な事情で世界各地に派兵し、結果的に地元の若者の命が失われ、そしてそれを手厚く讃えています。
 今回、この博物館では「ヒロシマ・ナガサキ特別展」が一角で開かれていました。 決して国内に核を持ち込まない、それは兵器はもちろん、発電も一切禁止!!を貫くNZ(だから、水力、地熱発電が盛んです)では、ヒロシマ・ナガサキへの関心はとても高いようです。
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・Tangiwa Railway Disaster現場を訪問。
 先週、僕が踏査してあった現地を案内。 Mt.Ruapehu(ルアペフ山)の威容とワンガエフ川、鉄道橋、そして記念碑、概説掲示板などをみながらしばし休憩。
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・Ohakune(オハクニ)のモーターキャンプ場・Top10に宿泊。
 オハクニはルアペフ南山麓のトゥロア・スキー場のベースキャンプで、お洒落なホテル、モーテルや小屋が林立。共用のキッチンで簡単にステーキを焼いて夕食です。
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【12/11(日)】
オハクニからVolcanic Loopを通り、SH4で北上してナショナルパーク入り口で右折して山に向かいました。目指すはWhakapapa Village(ファカパパ村)。
・Whakapapa Villageの「i」に併設されている「Volcanic and Cultural Center」(火山文化センター)を見学。
 模型やパネルでわかりやすくルアペフ火山を紹介してあって、こどもが飽きないように、ポッサム(肌触りの良いセーター等の素材として、メリノとともに有名ですね)やキウイなどの剥製も毛並みや大きさを触れるように展示してあって楽しめました。
 「地質・原子力科学協会」のコンピュター端末をいじると出てくる説明は分かりやすく、「火山災害時の人的要因」なんて堅苦しい題名でしたが、こども達も楽しそうにPC画面を眺めていました。
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「i」を出て、車で数十分、「行けるところまで(舗装の続く限り!!)」ということで山を登ってみました。
ルアペフ山の西山麓のファカパパスキー場。 シーズンオフでリフトも止まってますが、山小屋は営業していて、このあたりから入山する登山客が絶えません。
火山礫の夏の真っ黒のスキー場を眺めながら昼食。
ここは映画「ロード・オブ・ザ・リングス」のロケ場所だったんですって。
20051211 (44)-resize.jpg    ← 説明ボードが少し大きくみられます。クリック!!


Volcanic LoopをここからSH47→SH46と東に向かって走り、Rangipo(ランギポ)で再びSH1に出て、このあたりの砂漠路を今一度激走!! 軍事演習場のただ中を通る一直線のSH1・Desert Road(砂漠路)でしばし休憩。
20051211 (66)-resize.jpg     ← 看板が少し見やすくなります。クリック!!


ここから北上し、Turangi(トゥランギ)の街でSH32に入ってタウポ湖の西岸を北上し、Tokoroa(トコロア)で再びSH1に合流して一時間ほど北上してハミルトンに帰着。

二泊三日、タウポ湖の温泉保養地観光から一歩進めて、火山、戦争、災害をめぐる週末となりました。

投稿者 joyane : 16:04 | コメント (772)

2005年12月08日

「HMS Orpheus」号沈没を調べに…

今日は午後から、オークランドの海洋博物館に行って来ました。

NZの災害を調べていくと、海難事故が多く記憶・記録されていることがわかります。
そのうちの一つ、「HMS Orpheus(英国艦船・オルフェウス号)沈没事故」について、その詳細が展示されているコーナーがあるという、オークランドの海洋博物館をたずねてみました。

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オークランド市街地の最も美しいハーバーの一角に海洋博物館はあります。
多くの観光客が美しいヨット、クルーザーを前にして、カフェで一息ついているウォーターフロントです。

マオリと海の歴史、捕鯨の記録、豪華客船の紹介等々…、そして二階の一角が「HMSオルフェウス号沈没」のコーナーです。

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1863年1月31日、シドニーからオークランドに向かっていたオルフェウス号は、オークランドの入り口・マヌカウで座礁し、沈没。乗務員259人のうち189人が犠牲となりました。

海洋博物館のこのコーナーには、この沈没した英国艦船から後に引き上げられた数々の物品が展示されていたりもしたのですが、僕の目をひいたのは、「なぜ、オルフェウス号はそこで沈没したのか」という説明の一部にある、「それでは、なぜ、その時、その辺りにいたのか?」という箇所でした。

「なぜ沈没したのか」については、初めてのオークランド付近の航海で海底地形について熟知していなかった…等々と原因が列挙されていますが、なぜ、そもそもそこを通ることになったのかについての説明がとても興味深いものでした。

19C、英国は世界各国の植民地経営のためにこうした艦船を派遣していたのですが、ちょうど1861年に勃発したアメリカの南北戦争で英国は南部を支援していて、その一環でオルフェウス号は北米に派遣され(物品搬送の護送等)、その任務が一段落してオーストラリア・NZに戻ってきていたとのこと。19C中頃はNZ南島でマオリとヨーロッパ入植者の衝突が絶えず、こうした軍隊の駐留が必要不可欠だったのですね。
そしてこの時、オルフェウス号には水先案内人としてマオリが乗船していたのでした。

英国植民地経営、マオリとの複雑な関係などがこの艦船沈没の背景にあることがよ~くわかりました。

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  ← クリック →   

後日、オルフェウス号が沈没したマヌカウ・ハーバーを見に行ってきました。小高い丘の上から引き潮の時刻に穏やかなタスマン海を眺めると、なるほどそこここに浅瀬が浮かび上がるように見えます。で、オーストラリア・シドニーからこの港に入ろうとして、あの浅瀬で座礁したんだなぁ、と納得。

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●現場を俯瞰すると、活字で得られた知識が総体として理解できますね。


投稿者 joyane : 16:00 | コメント (712)

2005年12月06日

ESOLの説明会

ESOL……?  「English as a Second Language」の略。
「英語を第二言語とする方々へ」という題する父兄説明会が翼の学校でありました。

数日前に翼(地元小学校の5-6年生)が学校から持ってきたお便りに、「ESOL」についての説明会のお知らせがありました。
午後2時。 指定されていた、学校のスタッフルーム(教職員の打ち合わせ等作業部屋)を訪ねてみました。


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写真左から、
Afat:NZ教育省・移民教育課
Julie:Hillcrest Normal School 校長
Judy:同英語初級クラス担当教員
の三人。
我々父兄10数人は車座に三人を囲んで、まずはお互いの自己紹介。
Afatさんから、「なぜ、ここニュージーランドにいらっしゃっているのか、簡単に話してください」と。
突然話しを振られて、僕の頭の中は「日本語→英語」が駆けめぐり、どうやら数分の話しを頭の中で用意して…。
ところが、親御さんは皆、すらすらと話します。 とてもESOLという感じではありません。
それもそのはず。 彼らの多くは中国から移民してきており、こちらに移民するための最低限の条件としての語学力はクリアしているのです。
それに引き替えこちらは…。 お気楽なサバティカルで、こちらのゆったりとした日常生活を満喫しているのですから…。
英語に対する切実さが違います。

どうにか英語でのご挨拶もクリアして…。 さて、NZ教育省・移民教育課からの説明です。
数種のパンフレットを使って、分かりやすい英語での説明でした。

その後、親御さんからの質問の時間です。
今回出席した親御さんは、僕を含めて全員アジアから、そして僕を除いてみな「移民」でした。
「自分の国に比べて安全だから…」、「最高の教育を受けさせたくて、この国を選びました」等々。
とても教育熱心な親御さん。 ESOLというよりはNZ初等教育についての質疑となっていきました。
なかでも、「放課後の塾」開講への希望を口にする親御さんが多かったのにはビックリでした。
アジアでは、日本も例外ではなく、こどもは放課後、塾に通います。 ところがNZでは、オークランドのアジア人社会の「補習校」というヤツはそれほど有名ではなく、教育省も校長も「ポカン」という感じ。
「そういう学習機会が、ここハミルトンにはないようだから、是非、学校でそれを開講して欲しい」との親御さんの要望。
それに対する教育省・校長の答えは、「水泳やクリケットなら放課後にやってますよ。自由に参加させてくださいね」と。
親御さんは「お金を払って『塾で』学業を学ばせたい」と要望しているのに、当局側は「放課後のアクティビティ」について回答していて…。 
「概念を取り違えてねじれの位置」…、面白い議論を横で聞いていました。

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「みなさんここNZに移民されて、こちらで生活して、こどもの将来を考えるのならば、私達を信じてください」という教育省側の自信に満ちた強い言葉には感銘を受けました。
その言葉を聞いてアジア人の親御さん達も、自分達がNZ教育に求めていたモノが、どうやら筋違いであったことに気付いたようで、表情がとても穏やかになりました。

●義務教育は6歳からだが、5歳の誕生日から通学させられること
●したがって、クラスは二学年混合となっていること
●語学力や学習到達度に応じて先生がクラス内にグループを作り、そのグループで学ぶことが多いこと
●したがって、クラス内でグループによって一日の時間割は当然異なること
●学習は常に、いわゆる日本で言う「総合的学習」を志向していること

このような教育を実現するには、現場の先生方の努力は相当なものですが、それを実現できる教員だけが現場でどんどんセレクションされていくようです。
今年9月のNZ総選挙でも、こうした質の高い教育をいかに維持していくかが、最大の争点の一つとなっていました。

また、今日の質疑の中で先生は、「キャンプ」の重要性を主張していました。
いわゆる「KJ法」(とは言っていませんでしたが、まさに話の内容はそのものズバリ)で、キャンプを実現・成功させる道筋を皆で考え、そのための準備を何ヶ月もかけて授業の様々な教科で行い、そしてそれはグループワークとして進めていくというもの。

そういえば翼のクラスでは先日、学外授業でハミルトンから1時間ほど郊外の渓流に、カヤックの体験に出かけたのですが、その前の一ヶ月はそこここの山に自生する「シダ(fern)」についての研究発表でしたし、先週からは水泳が始まっていました。
カヤックを大いに楽しんだ翼は帰宅後、「体育の授業の水泳」と、「理科(シダ植物)」・「社会(マオリの歴史)」・「英語(プレゼン)」等のいわゆる総合的学習の意味が自ずと理解できたようでした。
また、先週の学校ディスコ(http://disasterjune.com/NZ/archives/200512/02-1937.php)も、いろんな科目の統合学習の総仕上げでした。 「Sound Scape(音風景)」では、グループで相談しながら碧深い山中の音を創ろうということになり取り組みました。いろんな打楽器やガラクタでいろんな音を工夫して創りだし(「効果音づくりのようだった」と)、それを演奏する楽譜や楽団構成をグループで決めます。 また、音やリズムに合わせてカラダを動かす「体育だか音楽だか分からない」(との本人の弁)授業が毎日講堂であったり、ワルツを練習して(「させられて」とは男の子のハニカミ)「Shall we dance?」と女の子を誘わなくてはいけないとか…。
数週から一ヶ月単位で、こうしたシカケの授業が続きます。 それもグループ毎に異なる時間割、その中では語学力等に応じて一人ずつことなる時間割。
確かに本当に手のかかった授業運営、個人指導です。

こうしたNZの初等教育も、この20年ほどの地道な改革の成果のようです。
多民族共生や個性の尊重など…、口にするのは容易いですが、それを社会システムとして定着させるには、やはり20年という年月と厳しい議論の蓄積がなければならなかったのですね。

投稿者 joyane : 15:52 | コメント (1530)

2005年12月04日

カーレース観戦②

昨日に続いて、今日も昼からレース場へ。
まずは、本部に立ち寄り、今日これまでのレース結果と午後からのプログラムを確認。
ふと、コースが静かになったので振り返ってみると「お昼休み休憩」らしく、自由にコースを歩けるようだったので、11番グリッドで記念撮影。
今日はレースコース各所を散策していろんな角度からレースを眺め、最後は再びピットをブラブラ。
20051204 (39)-resize.jpg   20051204(7)-resize.jpg   20051204 (30)-resize.jpg ←最終コーナー手前のヘヤピン&S字の立ち上がり

レースを終わったチームが片づけをする傍らで、出走間近の必死のセッティング最中だったり。
ファンは思い思い、ごひいきのチームのパドック、ピットを楽しそうに覗いていました。

20051204 (11)-resize.jpg   20051204 (15)-resize.jpg   20051204 (17)-resize.jpg


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投稿者 joyane : 16:45 | コメント (495)

2005年12月03日

カーレース観戦①

我が家のこども達も熱狂するカーレース。
でも、プレステではなくて、やっぱり生の迫力に触れなくては…、ということで。
今日は、近場で開催されていたレースに行ってみました。
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ハミルトンから北東に一時間ほどのPukekoheのサーキット。 
今日は、V8やらポルシェやら、いろんなレースがあるようです。

こちらではレースは観戦するモノではなく参加するモノ。 スポーツ全般にそうで、ラグビーも4歳のこどものチームから、40歳代のお母さんのチーム、それに70歳超のお年寄りのチームまでイロイロ。

さて、カーレースも。 参加の仕方も色々あって、何もステアリングを握るだけではありません。
家族チケットは予選・決勝の二日券が30$(1$=約80円)。これで、パドックまで行けるとあるのですが、行ってみると実際はピットやピットレーンまで自由に行き来できます。

さてさて、どんなレースが観戦できるかな?

レース場の駐車場はそこここ、芝生の空き地に自由に停められます。
まずはメインスタンドに。 鈴鹿でこの席を買うと目の玉飛び出るほど、高価だよねぇ。
みんな思い思いのスタイルでレースを楽しんでいます。
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雰囲気抜群の渡り廊下を渡ってみると、そこはもうパドック。 ここ入っていいのかなぁ?
アメ車の旧車、お馴染みのポルシェ(でも、だいぶいじってありそう!!)、それからかわいいミニクーパー達。
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パドックで見つけた僕のお気に入りは…。
まずはベンツのクーペに、懐かしのハコスカGTR。それと、車種は分からないけど、とってもコンパクトな黄色いアメ車(ゼッケン77)。
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               20051203 (20)-resize.jpgいつもお世話になっているご近所の修理工場もこの赤いRX-7でエントリー。


どうも気になった向こう側。 そこはピット。 恐る恐る行ってみると、なんと自由に行き来できるようで、みな、カメラ片手にスーパーカーの間をブラブラ。
ひときは目をひく赤いフェラーリ陣営。
フォーミュラーカーに興味津々の翼は、綺麗な紫のマシンに近寄って行ったところ、そのオーナーが「乗ってみるか?」って。 なんとフレンドリー&サービス満点!!
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ピットレーンに降りてみると、予選タイムアタックの順番を待つポルシェ(SuperGTクラス)の爆音。 その脇には、とってもかっこいいマーシャル。
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さて、レースの方は…。
ミニクーパーはあんな小さな車体なのに、超爆音でかなりの高速。
RX-7のレースは、新・旧、旧旧入り交じって大混戦。 ハミルトンの我が家で日頃お世話になっている近所の自動車修理屋さんも「赤いセブン」で出走していました。
ポルシェとアメ車V8はやっぱり迫力あったねぇ。 一コーナーのドリフトなんかも。
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今日は初日で15種くらいのセッションがあったようで、それぞれの車種でフリー走行、タイムアタック、車種によっては決勝も行われていました。 明日は二日目、メインになる車種の決勝が主に行われるようです。
「ようです」というのは、実はきとんとしたパンフレットとかどこにも売っていないんですよね。でも、観客皆、某かのプログラムのようなモノは手にしていて、こっそり覗いてみると、どうやら皆、どこかのチームの内輪かサポーターのようで、その手の書類(出走規定書のようなものにくっついているプログラム)を眺めながらレース観戦を楽しんでいました。
レースを終えたドライバーがジュース片手に観客と談笑しながら別のレースを見ていたり…。

「レース(スポーツ)は参加するもの」という積極性がいろんなところで垣間見られます。
明日も行って来ます。


投稿者 joyane : 19:22 | コメント (750)

2005年12月02日

小学校のディスコ

今晩、翼の学年では、夜7時からディスコがありました。

「このところ、授業ではダンスや歌の練習の時間が多い」と、翼が言っていました。
今日はそのお披露目の日。
夕食をすませ、みな、学校からの指示どおり、「おめかし」して、夜の7時前に再び登校。

講堂は立派なディスコに仕立て上げられていて、正面には若いお兄さんがDJとして陣取っています。 立派なJBLの音響施設。 やっぱり、女の子の方がおめかしは上手。

ここで親御さんは一時帰宅。 夜9時にラストダンスがかかる頃、再びお迎えに来て下さいとのこと。

9時前に行ってみると、講堂からは重低音、ビートの効いた乗り乗りの曲が。 そしてその曲が終わると、スローテンポの曲に。

迎えに来た親御さんと子供がワルツを踊ります。
どうやらこの二時間のなかで何度かこのような曲がかかったようで、男の子達は「Shall we dance?」と、女の子をエスコートしたようです。


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「とっても、とっても楽しかった!! 2時間、あっと言う間だったよ」と、翼は興奮冷めやらない様子。
「学校って、こんなに楽しい所だったんだね」と、こちらに来てまだまだ言葉も十分通じないだろうに、「学校という場」のすばらしさを実感できた翼。
日本の学校ではイロイロあって、こちらに来てやっと居場所が見つかったようで…。
それにしても、こうした教育現場を見ていると、成熟した大人社会がこどもに目一杯手をかけているんだなぁ、と実感できます。

講堂から出てくるこども達みんな、上気した表情で、それを迎えに来る親御さんも満足げでした。


投稿者 joyane : 19:37 | コメント (47)

2005年12月01日

Tangiwai Railway Disaster の地へ

1953年クリスマスイブの晩。
北島のほぼ中央、タンギワイにかかる橋が土石流で押し流され、それを知らずに急行列車が川に転落。
この事故で151名が亡くなりました。
タウポ湖から眺めると南にそびえる二つの山々。 間近で見るとちょうど、八ヶ岳と富士山の間を走り抜けるようでした。

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NZの災害を俯瞰してみると、日本で言う「地震・雷・火事・親爺」とは異なり、「炭鉱・海難・地震」のようです。
島国故、海難事故が多く、また、一昔前には炭鉱災害が多発していました。 大きな地震も数回。
事故の類では、海難事故の他、列車事故、航空機事故などが起こっています。 ただし、被災の規模はどれも犠牲者数は数百人。 日本で数千、数万というオーダーの大災害にデータ上、馴染んでいるので、さほど大きな被災とは感じませんが、人口規模が1/30ということを勘案すると、局地的な痛ましい大災害です。

今日は、そのうちの一つ、列車災害の現場をたずねてみました。

タウポ湖の向こうにそびえるツインピークスの裏手、荒涼とした砂漠地帯(このあたりは軍隊の演習場で、富士の裾野の様)からさきほど眺めたツインピークスの裏手の山麓に広がるスキーリゾートに向かう途中の山間の鉄道の鉄橋。

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この山の氷河が陥没して大土石流を発生させ、その濁流が橋桁をなぎ倒したのでした。そこにウェリントン発・オークランド行きの急行が突っ込み、先頭の蒸気機関車と前5両が濁流に呑み込まれ、乗客・乗員285名のうち151名が死亡、20名の遺体は発見されませんでした。

今ではのどかな山間の、景色の良い休憩所というたたずまいの現場ですが、そこには記念碑と調査報告書の抜粋が展示されていて、しばらくそこにたたずんでいると、学外学習の女子高校生のバスがトイレ休憩に立ち寄り、引率の先生がここの逸話を紹介していました。


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先頃買った僕のオモチャ、GSX400X(通称・「東京タワー」のクラッシク&ビンテージ・バイク)で、今日は片道350Km(往復なんと700Km=9時間)のロングドライブで、ここタンギワイまで来ました。
午前中、家事・雑事を済ませ、ガラ空きの国道一号線をひたすら100Km/hで爆走。 タンギワイの記念碑の回りの野花・芝生で一休みして帰路へ。
夜9時、まだまだ薄明かりが残るうちに帰宅となりました。 この年で700Km走ると、やっぱり辛い!!

翌日、ワイカト大学図書館で関連文献を一通り取りそろえてみました。
こちらではこうした災害・事故が発生すると、政府により調査機関が設置されて、ほぼ同一スタイルの報告書が必ず刊行されています。
『Tangiwai Railway Disaster Report of Board of Inquiry』,R.E.Owen,Government Printer,Wellington,1954.

投稿者 joyane : 19:11 | コメント (753)